2018年9月5日水曜日

狗古智卑狗と利歌彌多弗利

「其南有狗奴男子王、其官有狗古智卑狗不女王」


中国語で外国人の名前をその外国人の発音通り(聞き取れた音のとおり)に表記しようとすれば、その発音に近い音韻を持つ字群(韻書)の中から文字が選択されるのであろう。

そして、その選択された文字列が中国古文のように句読点のない文章中に初めて出てきた場合、読者はどこからどこまでが名前だとのようにして判断するのだろうか。

「倭女王卑弥呼与狗奴男王卑弓呼素不和」にある、狗奴国王の名は「卑弥弓呼」と解されのが一般的であるが、これを「卑弥弓呼素」までが名前だとする説(内藤湖南「ヒメコソ」説)もある。

狗奴国王の名がたとえ「卑弥弓呼素」までが名前だとしても、この文意が卑弥弓と卑弥弓呼素の関係が「不和」ということでは変わらない。

しかし、外国人の名前には「不・弗・無・莫・勿・非・未」といった否定語は用いないという原則でもあれば兎も角、そのような決まりがなければ読者の中には「卑弥弓呼素不」までが名前だとして卑弥呼と卑弥弓呼素不は和す」と読む人がいないとも限らない

つまり、名前に続く文章の先頭文字が否定語の場合、ここまでを名前として間違って読まれたら、その文章の意味は逆転てしまう。

「其南有狗奴男子王、其官有狗古智卑狗不女王」とある「狗古智卑狗「狗古智卑狗不」まで名前として読むと文意は逆転して、狗奴国は“女王に属す”となってしまう。

隋書』の「名太子利歌多弗利無城郭」とある「利歌多弗利」は、日本の太宰府天満宮にのみ残る唐の張楚金になる『翰苑』の「阿輩雞弥 自表天称」に対する雍公叡注に「王長子号多弗利華言太子」とある。(但し、《和》は後に原文に朱書きで加筆されたもの。)

「狗古智卑狗」や「利歌多弗利」は、名前に続く文章の先頭文字が否定語になる場合、名前の文字列の語尾の字を語頭に置いて、語頭の次から否定語の前の語尾までが名前だと読者に示し、文意を逆にとられるのを避けるための表記法ではないのだろう

雍公叡はこの表記法を知っており、自分の注釈文に引くときは名前の後に否定語がこなかったので語頭の「利」をはずして「歌多弗利」とした。

後の『翰苑』の読者(おそらく「ワカミタフリ」を知る日本人)はそれを知らず、隋書の「利」を脱字したものとみて、そして隋書の「利」は「和」の間違いとして、《和》と朱書加筆したのではなかろうか。

そうであれば、狗奴国王の名が内藤説の「卑弥弓呼素」だとすると、「素卑弥弓呼素不和」となっていなければならない。

そうはなっていないのだから、女王「卑弥呼」と「不和」の狗奴国王の名は「卑弥弓呼」であり、その官の名は「古智卑狗」である。

 白鳥庫吉倭女王卑弥呼考』:日韓古史斷ハ、更ニ進ミテ、狗奴ハ河野ニシテ、其官有狗古智卑狗ハ、河野氏ノ遠祖子致彦ヲ云フト云ヘリ。

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