2018年8月24日金曜日

一大国と瀚海

又、南渡一海千里、名曰瀚海、至一大国。」
<また、南に一海を渡ること千余里にして、名を瀚海という、一大国に至る。>

陳寿は、対海国(対馬)と一大国(壱岐)との間の海峡(対馬海峡東水道)を「瀚海」と名付けている。

諸橋大漢和辞典に「瀚海とは、砂漠の名で戈壁(ゴビ砂漠)のこととある。(【瀚海】:「砂漠の名。浩瀚(広大なこと。また、その様。)なことが海のようであるから名づける。又、翰海に作る。又、戈壁という。唐代、瀚海都護府を置く。今、外蒙古の地。瀚海に就いては古来、史家の間に定説がない。或いは古、此の地に広大な湖沼が有ったが、現在は広漠たる砂漠となったといい、或いは、バイカル湖であるという説もある。」)

史記匈奴漢驃騎軍之出代二千里、左賢王接、漢兵得胡首虜凡七万余級、左賢王皆遁走。驃騎封於狼居胥山、姑衍、臨翰海而還」の「翰海」に注をした、張守節になる史記正義に「按、翰海自一大海翰海一大海より名づく、羣鳥解羽、伏乳於此、因名也」とある。

陳寿は「一大」の表記が間違いではないことを示すために、一大国へ渡る海峡を「瀚海」と名付けておいたのではなかろうか

後漢の許慎になる中国最古の字書『説文解字』に「翰、天雞也、赤羽、从羽倝聲」とあり、「翰」は天雞(中国神話中の天の鶏)とある。

その『説文』に「天、顛也、至高無上、从一大」とあり、『諸橋大漢和辞典』に「一大」は「天の異称。一・大の二字を合すると天の字になるからいう。」とある。

『前漢書王莽伝に「尋手理有天子字、莽解其臂入視之、曰一大子也」とあり、「天子」は「一大子」とも書かれる。

「一大国」「天国」でもある。

記紀神話の「天降る」とは、天国から天国以外の土地へ赴くことをいう。
天降る先は、筑紫出雲新羅(曽尸茂梨)の三所である。

これら三所の中心に壱岐対馬が位置する。「天」である。
対馬には「阿麻留神社」がある。阿麻は「天照」である。
壱岐には「天原」という地名がある。高天原である。

天孫降臨は「高天原から筑紫への天降り」であり、壱岐の海士勢力の筑紫へ侵入である。

末盧国には「魚鰒(アワビ)をるのを、水浅と、皆沈没してる」という「水人」と呼ばれる人がいる。(「今倭水人好沈沒捕魚蛤」

今、潜水漁をする水人(海人・海士・海女)を「あま」と読むのは、筑紫へ侵入した壱岐の水人が天(あま)と呼ばれていたからはなかろうか。

壱岐をいう「一大」は、倭国で「天国」と漢字表記していたのを、陳寿はそのまま「天」とするに憚ることでもあったのか、分解して「一・大」としたのではなかろうか。

(余談)

『神皇正統記』北畠親房は、古事記に見られる「伊邪那岐」の名仏教用語の伊舎那天」の「天」「岐」に転じたものだという。



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