2018年8月14日火曜日

春秋の筆法



中国正史二十四史のトップに位置づけられる『史記』の司馬遷は、その列伝の評にあたる「太子公自序」の中で執筆の目的を「春秋を継ぐ」ことだとしている。

 [史記列傳太史公自序]

〇太史公曰先人有言、『自周公卒五百而有孔孔子卒後至於今五百有能紹明世正易傳繼春秋本詩書禮樂之意在斯乎意在斯乎小子何敢讓焉

太史公司馬遷の自称)曰く、「先人(父、司馬談)に言(げん)が有、『周公旦が亡くなってから五百年して孔子が生まれ、孔子が亡くなってから今に至ること五百年になる。大道の明らかであった世を継承し、孔子の述作した易の繫辞伝(けいじでん)を正(ただ)し、春秋を継(つ)ぎ、詩楽の本(もと)にすることができるだろう』と。意(父の志)はここに在(あ)るか。意(い)はここに在(あ)るか。とすれば、わたしはどうしてぐずぐずしておれよう。」>

清の章学誠(17381801)の著わした史学の学問的意義を強調する『文史通義』に「歴史の大原は春秋に基づく」と評されるように、歴代中国の歴史書は孔子(BC552-479)が著わした魯国の歴史書『春秋を継ぐことだとされる。

『春秋』は元は魯の史官による単なる事件の記録である年代記に孔子が世の乱れを憂い「善を勧め、悪を懲らしめる」ため手を加えた微言大義(微妙な文章に大きな意味を秘める)があると考えられ、そこに使った孔子の表現方法を春秋の筆法(孔子の筆法)という。

このため(孔子が著したことになって)、『春秋は儒の経典「五経」の一つに数えれれ、孔子の筆法を解説する注釈書(春秋三伝「左氏伝」「公羊伝」「穀梁伝」)が書かれることとなった。

春秋を継ぐとは「孔子の筆法を継ぐ」ということで歴代の中国の歴史家が学ぶべきことは春秋の筆法であり、漢の時代からのち、史学者の資格とは『春秋』と春秋三伝に精通することだった。

『三国志』の撰者陳寿について東晋の常據の『華陽国志』に「陳寿、字は承祚、巴西の安漢の人なり。少(わか)くして学を散騎常侍の周に受け、尚書、三伝(春秋の左氏・穀梁・公羊)を治め、史・漢に鋭精(くわ)しく、聡警(さと)し敏識(さと)し、文を属(つく)るに富みて艶やか。」とあり、陳寿も春秋三伝に精通していた事が知れる。

陳寿の『三国志』は時の尚書郎の范頵に「辞は勧誡(善を勧め悪を誡める)が多い」と評されており、陳寿の庇護者でもあった左氏伝研究家の杜預(222284)は、諸子の解釈を集めたその著『春秋経伝集解』の春秋左氏伝序に、春秋の筆法の原理として春秋は文を錯(たが)うるを以って義を見(あら)わす一字を以って褒貶(ほうへん)を為す」としている。

[春秋左氏伝序]:

或曰:春秋以錯文見義、若如所論、則經當有事同文異而無其義也。先儒所傳、皆不其然。答曰:春秋雖以一字為褒貶、然皆須數句以成言、非如八卦之爻可錯綜為六十四也、固當依傳以為斷。

いは曰く、春秋は文を錯ゆるを以て義を見わす。若し論ずる所の如くらば、則ち經に當に事同じく文異にして、其の義無きもの有るべし。先儒傳うる所は、皆其れ然らず、と。答えて曰く、春秋は一字を以て襃貶を爲すと雖も、然れども皆數句を須(もち)いて以て言を成せり。八卦の爻の、錯綜して六十四と爲す可きが如きに非ざるなり。固より當に傳に依りて以て斷ずることを爲すべし。

「一字を以って褒貶を為す」とは、一字を変えることにより、そこに隠された意味をもたせるということ。

「文を錯うるを以って義を見わす」とは、文をわざと矛盾させることにより、そこに真実の意味(義)を持たしてあるということ。つまり、その矛盾は決して間違いではないということ。

魏志倭人伝を読むにあたっては、一見間違いに見えるような矛盾のある書き方がされている場合、それはわざと矛盾させてあるのであって(陳寿の筆法)、なぜそのように書かれたのか、その意味をよく考えて読まなければならない。





1 件のコメント:

  1. 魏志倭人伝の春秋の筆法について初めて知り、面白い考えかと思いました。邪馬台国についていろいろ意見が出てくる理由のひとつかと思いました。

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